人間関係で疲れる人が無意識にやっている3つのこと
人間関係で疲れる人が無意識にやっている3つのこと
人間関係で疲れるたびに、
「もう少し人のことを気にしなければ楽なのに」
と思うことがあります。
実際、周りを見ていると、人間関係をそれほど深く考えない人もいます。
誰かの機嫌が悪くても、
「今日は機嫌が悪いんだな」
で終わる。
意見が合わない人がいても、
「そういう人なんだな」
で終わる。
正直、私はそういう人が少し羨ましいです。
私は逆で、
「何が原因なんだろう」
「どう接すればいいんだろう」
「なぜこの人はそう考えるんだろう」
と考えます。
会話が終わった後も、
「相手はどう思っただろう?」
と考えることがあります。
以前は単純に、
「自分は人のことを気にしすぎる性格なんだ」
と思っていました。
でも、もう少し深く考えてみると、違うものが見えてきました。
私は相手のことを理解したいだけではない。
相手を理解することで、その人の反応を予測したいのかもしれない。
相手がどういう人なのか分かれば、どう接すればいいか分かる。
どう接すればいいか分かれば、人間関係で失敗する可能性を減らせる。
つまり、
「相手を理解したい」の奥には、「人間関係を予測可能にして安心したい」がある。
これに気づいてから、人間関係で疲れる理由が少し違って見えるようになりました。
1.相手の「なぜ?」に答えを出そうとする
私は、意見が合わない人がいると、
「そういう考え方の人なんだな」
だけでは、なかなか終われません。
「なぜ、そう考えるんだろう?」
まで知りたくなります。
相手の性格なのか。
過去の経験なのか。
置かれている立場なのか。
何を大切にしているのか。
理由が分かれば、その人の行動にもある程度納得できます。
そして次にどう接すればいいのかも考えられる。
これは仕事では役に立つことがあります。
人をまとめる立場なら、
「この人にはこう伝えた方が伝わる」
「この人はここを気にしている」
と考えられることは、一つの強みです。
ただ、ここには大きな問題があります。
人間には、どれだけ考えても完全には理解できない部分がある。
それでも答えを出そうとすると、
「なぜ?」
が終わりません。
そして私は、相手と話していない時間まで、その人について考えることになります。
2.相手の反応から「自分」を評価する
もう一つ、自分の中で大きいのがこれです。
もし自分の言葉で誰かを傷つけてしまったとしたら。
もちろん相手を傷つけたこと自体も嫌です。
でも、さらに奥には、
「自分は悪い人間なのではないか」
という感覚があります。
ここは、自分でも重要な部分だと思っています。
相手が嫌な顔をした。
↓
「自分の言い方が悪かった?」
↓
「相手は自分をどう思った?」
↓
「自分は嫌な人間だったのでは?」
と、自分自身の評価にまでつながっていく。
だから、
「相手はどう思った?」
が気になります。
単に相手の感情を知りたいだけではありません。
その反応を通して、
「自分は間違っていなかったか」を確認しようとしている部分もある。
これでは、人の感情に左右されやすくなるのも当然です。
自分についての評価材料を、相手の反応から集めているからです。
3.「自分が何とかできる」と考え続ける
仕事で、何度伝えても行動が変わらない人と関わったことがあります。
周囲への配慮が不足していたり、自分の考えを優先してしまったりする。
周囲から困っているという声もあり、管理する立場として何度も対話しました。
「どう伝えれば分かってもらえるだろう」
「何が原因なんだろう」
「伝え方を変えた方がいいのか」
と考えました。
でも、なかなか変わらない。
これがかなり疲れました。
当時は、
「相手の態度に疲れている」
と思っていました。
もちろん、それもあります。
でも今考えると、それだけではありません。
私の中には、
「理解できれば、何か解決方法があるはずだ」
という前提があったのだと思います。
だから変わらないと、
「まだ理解が足りない?」
「伝え方が悪い?」
と、また考える。
でも、人間関係には、
自分がどれだけ考えても、自分だけでは変えられないことがあります。
相手の価値観。
相手がどう受け取るか。
そして、最終的に相手が変わるかどうか。
そこは相手の領域です。
なぜ「何度言っても変わらない人」がこんなに疲れるのか
ここまで考えて、ようやく自分の中でつながりました。
私は人間関係に問題が起きると、
原因を知る
↓
相手を理解する
↓
反応を予測する
↓
接し方を考える
↓
問題を解決する
という方法を取ろうとします。
これは、一見すると論理的です。
実際、この方法でうまくいくこともあります。
でも、
「こちらがどれだけ考えても変わらない人」
が現れると、この方法が機能しなくなります。
原因を考えても解決しない。
伝え方を変えても変わらない。
相手の気持ちを想像しても変わらない。
それでも私は、
「まだ何か方法があるのでは?」
と考える。
だから疲れる。
相手の問題だけではなく、
「理解すれば解決できるはず」と考え続ける自分自身も、疲労を大きくしていた。
ここは自分にとって、かなり大きな発見でした。
人間関係を「予測可能」にしようとしていた
さらに掘り下げると、
なぜ私は相手をそこまで理解したいのか。
答えの一つは、
安心したいから
だと思います。
相手がなぜ怒っているのか分かる。
相手が何を求めているのか分かる。
次にどう反応するのか、ある程度分かる。
そうすれば、
「どう接すればいいのか」
を決められます。
逆に、
何を考えているのか分からない。
なぜそんな行動をするのか分からない。
こちらが何をしても反応が読めない。
こういう状態は疲れます。
つまり私は、
相手を分析することで、人間関係の不確実性を小さくしようとしていた。
のだと思います。
でも、人間は完全には予測できない
ここで一つ、受け入れなければならないことがあります。
どれだけ相手を分析しても、
人間を完全に予測することはできません。
同じ言葉でも、その日の気分によって受け取り方が違う。
昨日まで大丈夫だったことが、今日は嫌かもしれない。
こちらが誠実に接しても、嫌われることもある。
何度伝えても、変わらない人もいる。
これは、人間関係が論理だけでは解けない部分です。
だから必要なのは、
「もっと正確に相手を分析すること」
だけではありません。
ときには、
「分からないままにしておく」
ことも必要なのだと思います。
「分からないまま終わる」という選択肢
これは、私自身まだ得意ではありません。
本音を言えば、
「全員に理解されなくてもいい」
「人間関係なんて気にしなくていい」
と完全に思えている自分は、あまり想像できません。
むしろ、そう思えたらかなり生きやすいだろうなと思います。
だから、
「今日から人の目を気にしない」
とは書きたくありません。
そんな簡単な話ではないからです。
ただ、
理解できないものを、理解できないまま置いておく。
これは少しずつできるかもしれません。
「なぜあの人はそうした?」
↓
「分からない。でも、自分が考えて答えが出ることではない」
「相手は自分をどう思った?」
↓
「分からない。必要なら聞く。それ以上は推測しない」
「どうすれば相手は変わる?」
↓
「自分が伝えるところまではできる。でも変わるかどうかは相手が決める」
こうやって、
自分が考える範囲に終わりを作る。
人間関係で疲れたときの3つの問い
今の自分なら、考えすぎていることに気づいたら、こう問いかけます。
① 私はいま、相手を理解しているのか。それとも答えのない推測を続けているのか?
② 相手の反応を通して、自分自身の価値まで判断しようとしていないか?
③ これは自分が変えられることなのか?
この3つです。
特に③で、
「もう自分ができることはやった」
と思えるなら、
そこで考えるのを終えてもいい。
それは無責任なのではなく、
自分と相手の責任を分けること
なのだと思います。
最後に|「理解する力」を手放す必要はない
私は、人のことを深く考える性格を完全に変えたいわけではありません。
相手の立場を考えること。
「なぜ?」と考えること。
人の感情に気づくこと。
それによって、人間関係がうまくいった経験もあります。
だから、問題なのは「考えること」ではない。
理解することと、理解しきろうとすることは違う。
相手を理解しようとする。
でも、分からない部分まで無理に答えを作らない。
自分にできることはする。
でも、相手の反応まで自分の責任にしない。
人の感情を大切にする。
でも、その感情によって自分自身の価値まで決めない。
人間関係で疲れたとき、
「もっと気にしない人になろう」
ではなく、
「自分は今、どこまで背負おうとしているんだろう?」
と考えてみる。
私にとっては、その方が現実的です。
人を気にしない人になるのではなく、
どこまで気にするかを、自分で決められるようになる。
それができれば、人と関わることによる疲れは、今より少し減らせるのではないかと思っています。
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